千日回峰行は失敗したら自害!それを2度も達成した酒井雄哉師は凄い!
千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)という医者が『間違いなく死ぬ』という程、過酷な修行をあなたはご存知ですか?
この修行は途中でやめてしまうと自害するという決まりがあり、始めたらやり遂げるか死ぬかの二択しかありません。
そしてこの過酷な修行を2回も成し遂げた人物がこれまで3人います。そのうちの一人、酒井雄哉(さかいゆうさい)師についても調べてみました。
比叡山延暦寺、千日回峰行
医者に『間違いなく死ぬ』と言われる千日回峰行とは一体どういうものなのでしょう?
実はこれ7年かけてやる行なんですが、1年目から順に見ていきましょう。
- 1年目:100日間 回峰行を行う
- 2年目:100日間 回峰行を行う
- 3年目:100日間 回峰行を行う
- 4年目:200日間 回峰行を行う
- 5年目:200日間 回峰行を行う
これで700日間の回峰行が終わるが、ここから「堂入り」というさらに辛い修行を行う - 6年目:100日間 回峰行を行う(1~5年目に行うものと違う)
- 7年目:200日間 回峰行を行う(1~5年目に行うものと違う)
ここまでさらっと書きましたが、これはとんでもなくきついものです。
では、もう少し詳しく見ていきます。
まず、回峰行とはどういうものなのでしょう?
回峰行とは、まず自身の寺で勤行を行った後、深夜2時から比叡山中の約40キロの道程を歩きながら、255箇所の定められた場所を礼拝し、巡礼をします。
腰には短刀と紐を引き下げ、失敗したときに自害できるようにしているのです。
雨の日も雪の日も、体調が悪かろうが決して1日も休むことはできません。
そしてこの5年間の回峰行を終えると次に「堂入り」という修行に入ります。
これが何といっても過酷!
9日間、断食、断水、不眠、不臥
食べ物も水も断ち、眠らず、横にもならずお経を唱え続けます。
間違いなく死ぬと医者が言うのも納得です。
これは実際に酒井雄哉師が堂入りしたときの映像です。
ここまで行うことですら厳しいのに6年目からの修行はさらに厳しいものなります。
6年目は、京都にある赤山禅院まで約60キロの道程を100日間歩きます。1~5年目までは、約40キロだった道程がさらに伸びています。
そして、最後の7年目。
まず最初の100日間は京都大廻りといって、京都内の決まった寺社を廻る1日約80キロの道程を100日間続けます。
それが終わったら、1~5年目に行った比叡山中の約40キロの道程を100日間続けて終了となります。
7年間で歩く距離は4万キロ以上!これは赤道1周分にあたります。
何とも恐ろしいこの修行を2度も達成した人が酒井雄哉・大阿闍梨なんです。
これを2度も行った酒井雄哉・大阿闍梨
酒井雄哉・大阿闍梨は39才の時に出家し、1度目の千日回峰行を54才の時に達成します。
戦後、この千日回峰行を達成したもののほとんどが30代で行っていたことからも、スゴさが伝わります。しかし、その半年後、2回目の千日回峰行に入り、60才の時に2回目の千日回峰行を満行します。
60歳という年齢で満行したのは史上最高齢です。
比叡山の歴史の中で2度も千日回峰行を達成したものは3人しかいません。
そのうちの一人。酒井雄哉師はどのような半生を送ってきたのでしょうか?
父の会社の倒産。株で大損。妻の自殺。様々な困難を乗り越えてきました。
そんな酒井雄哉・大阿闍梨の本がこちら。